気持ちだけで充分。

 脳裏に苦く甘い記憶が再生させる。何度だってその言葉を放たれて、その度に唇をかみ締めた。
 小さくて頼りなくて護られる存在だったあの頃、擦り傷かすり傷をこしらえた家族をただ見上げることしかできなくて、若者が子どもたちと自分たちと、何より大好きな人たちのために剣を握るその手に、どんなに憧れたことか。
 傷つけるより護る、戦うよりまず言葉を交わす。ずっと見てきた彼らの背に追いつくために、騎士見習いとして旅をしていたというのに。

 銀髪の少女たちの背を呆然と見送る。
 人の身を案じて、そっとありがとうだけを告げた少女は優しく強い。逆境に立たされても選択肢にはない選択をしてのけるような、非常識かつ理に適った行動を取るのだろう。
 とうとう見えなくなった彼女達に、異界から舞い降りた黒髪の勇者を重ねてアルバは苦笑する。

「――ここで諦めたら、皆に笑われるかもな」

 自分の大切だと思うことに真直ぐ進む、遠い地の家族が自分の背を押してくれたような気がした。




(アルバ、お前が正しいと思うことを貫いてみせろ)





[2012/08/25 - 再録]












「うっふふー、弱み握っちゃったわねー!」
「ねえさんが握ったわけじゃないのに…」
「いいのっ! ライが握らないのなら私が握る!」

 目先の空間を踏みにじるように拳を握る。空気が圧縮され塊に変化し手に残るわけでもないので、逃げるように指の間から漏れていった。
 それでも自分勝手な理論と意思と、ひたすらにおせっかいで単純な幼馴染よりは劣るかもしれない信念は、この中にある。

「だってあの子、すぐ許しちゃうんだもん。その分私たちがこき使ってあげないと、あいつにも良くないわ!」

 やさしすぎるんだもの、すぐにおこるくせに、さ!
 赤の泥棒と銀の料理人を空に描いて、リシェルは大きくのけぞった。





[2012/08/25 - 再録]












 まだ自分たちの物語は始まったばかりだと、なぜあの時気づけなかったのだろう。
 尋常じゃない生活が顔を覗かせたときに何かを察していれば、こんなことにはならなかったのかもしれないのに。

「後悔しているかい」
「俺に聞くんですか?」

 敢えてそれを己に聞かず、自分に向けてくるとは。グラッドは面を食らった。大きな騒ぎが増えただけとも思えなくもない自分と違って、彼は一連の事件の中で何もかもを変えられてしまったというのに。
 横から飛び出てきた、鬼妖界の忍者らしき者の投具を槍で受け止め右へ流す。ざっと視線を走らせれば敵数は両手で数えられるくらい。
 こちらにはまだ致命的な負傷者は出ていない。これならなんとかやり過ごせるだろ、と心中吐息し槍を構えなおす。

「ああ、私は後悔していないから」

 背後の剣戟は止まない。金属音に飲まれないよう、かつ敵味方関係なく周りに細心の注意を払って声を落とす。
 発端であり導き手である少女の耳が会話を捕らえたら、謝罪されるに決まっている。さくさく決めて突っ走っているだけに見えて、その癖気遣いを欠かない子であったから。

「どっちつかずですよ、本音は」

 失うかもしれないものもありますが、得たものも多かったですから。
 呟く前に察したのか、「そうかい」と笑みを含めた彼は、機械に飲まれたその手の短剣を振るった。





[2012/08/25 - 再録]












「こんなの、皮肉でしかありませんでしたわ」

 手中で転がる紫の石ころに向かって吐き捨てるように少女はぼやいた。
 石ころは光を帯びて異界(といっても、少女にとっては故郷に等しい)への道を繋げることが出来たりするから、そのまま放り捨てることなど出来はしない。
 嫌味なほどに目ざといニンゲンが拾ってしまったら、それはもうこの子の命運の尽きるとき。こんなちっぽけな、なんでもない石一つに、私たちの生を捻じ曲げられるなんて。

「え、何が、」
「召喚された身である私が、召喚をすることによって護られるときがあるからですわ」

 こんな方法、叩き落したくなるくらいに憎んでいたはずの糸口であったのに。
 少年の素っ頓狂な声に被せた言葉を、召喚されたことによって虐げられた存在が聞いたら、どう思うのだろう。同じ犠牲者の癖に。ニンゲンと同罪。――裏切り者。身体が震えた。

「私には身を護れる力が足りない。だから霊界の仲間に頼る。だけど――彼らから見たら、それはただの言い訳にしかならないんじゃないかしら?」

 途端に居心地悪げに顔を歪めた少年からの返答を期待するのは酷だと少女は分かっていた。
 彼がどんなに優しくあれたって、それに伴う思慮の問題に直面する。だから少女は今話した全部を独り言にして、また手のひらで鈍く淡い光を宿す石に一瞥をくれた。





[2012/08/25 - 再録]












「ごめんね、ごめんね…!!」

 それしか言葉が出せない自分に、少女は今までで一番自分を憎んだ。どんな横暴な商人より傲慢な貴族より手に入れた血統でいつまでも人を突き動かす暴者よりも、少女自身を激しく殺したくなった。全身を掻き毟り血の滲んだ箇所に爪をこじ入れ最高にいたぶって殺したかった死にたかった。

「死ねばいいのに! 死ねばよかったのねなんですぐに死ねないの殺せないのよおおっ」

 紫色の皮膚はいくら血で汚れても傷を塞いでいく。段々肌は紅に染まり始め、それでも少女は死ねなかった。
 命を吸い込むだけ吸い込んで、まるでその寿命分を分け与えてくれたかのような母の愛でいっぱいで、そう都合よく考えようとする頭を引っぱたいた。緩やかに伸びた紫の髪が血で汚れる。

「ごめんね、ごめんねお母さん。生きてはいけない子が、ここにいるのね? そうなのね?」

 少女はべっとりと濡れた手で顔を覆った。安らかに眼を閉じた亡骸にぽつりぽつりと紅い染みをつくり、それでも衣服に染み込んでいくだけで、血を分け与える事などできはしなかった。  なにもかえしてあげられないわたしに、おかあさんをころしてしまったわたしに、どういきていけとかいのいしはおっしゃるのですか。このはざまのわたしに!




そんな私でも愛してくれたお母さんは、今は遠い世界の下。





[2012/08/25 - 再録]