「師匠!」

 大声で喚き、厨房の扉を乱暴に開け放つ少年に、料理人たちは一斉に視線を送った。集まった注目に少年はそれでも構うことなくきょろきょろ眼を動かし、やがて一人の料理人で止まった。

「師匠は?」
「今は都の中ですわ。まだ近くにいるかもしれんから、いってみ」

 料理人はふくよかな体をかがんだ状態から上へ持ちあげ、少年の問いにゆっくり答える。小さく笑んだ料理人に、少年は軽く頭を掻き「そっか。ありがとな」と若干申し訳なさげに頭を垂れて、今度はそっと扉を閉めた。
 嵐よりも早く去った少年の来訪から数分間が空き、ようやく何かよく分からないことが起こったと理解した、まだ年若い料理人は、すでに自分の修行に戻った中年の料理人に少年の詳細を問いかけた。

「ああ、あんたは会ったことなかったんか。あいつは先生の弟子の一人やでー」

 火をつける前の段階までとっくに準備されていたかまどの中を、半立ちの状態で薪が数本置いてある事を何度か確かめつつ、小太りの中年料理人は軽い口調で説明した。
 設備にはオーブンなど、使い勝手のいいものもあったが、中年料理人は好んでかまどを使用していた。手馴れた道具の方がいい味を引き出せる、と口癖のように大仰な笑い声で豪語する。中年料理人にしてみれば、もっと簡略化した、石の囲いで出来たかまどが好ましいのだが、さすがにそれはなかった。

「うそでしょう? まだ子どもだったじゃないですか。先生のお孫さんというのなら、分かりますが――」

 ここはこの施設を建てた「先生」以下数十人の料理人の腕を磨くため、各地からの人間が混在する空間だ。別段おかしい所はない。年齢など、さして問題ではないのだが、と中年料理人は首を傾げる。

「ライって名前、聞いたことないか? あいつの名前や」

 少年ほどではないものの、自分だって充分若い部類に入る若い料理人を横目で見やる。顰めた眉が一瞬で緩み、口をぽかんと開け、言葉が喉に突っかかったような音を鳴らした。

「あれはまだまだ伸びるやろうな。気い抜いたらすぐに追い越されるで」

 若料理人は右口端を引きつらせながら「そうですか」とだけ呟いて己の修行に慌てて戻った。危機をほのめかされ、気を引き締めたようだ。我ながらに良い事をしたと、中年料理人は短く刈った柑橘系の果物を思わせる髪を上下に揺らす。

「しかし、あの子は初めてみたわな」

 マッチを取り出し、側面に近づけたとき、中年料理人はまた手を止めて数分前を思い出した。少年の後ろでちょこんと立っていた、桃色の美しい髪が印象的な、おとなしめの麗しい少女。

「……ま、考えても意味ないな」

 もう一度かまどの中を確認して、中年料理人は今度こそマッチをこすった。




「――参ったな。師匠じゃなきゃ聞けねーのに」

 ぼやきながらもライは自分の幸運に感謝した。性格がさばさばした中年の料理人があの場にいなければ、初対面の料理人たちへの説明で時間を食う所だった。彼は遠い島から帝都に上京してきた所を偶然客分として迎えられたらしいから、いつまでも帝都に滞在するとは限らない。思えば思うほどありがたい神様のような崇高を覚える。

「どうするの? 探すにも、こんな人ごみ……」

 エニシアが控えめに指差す先は人の波。道路は故郷の町より広く設けてあるのだが、いかんせん人が多すぎた。道がその時々で対応できるわけがなく、無駄にごみごみした中を二人はゆっくりとした歩調で歩いている。
 ライは小さく唸った。今まで人探しを強いられた場面は何度もあったが、それがなんとかクリアできたのは仲間達の勘や、竜の子の魔力を感じる力のおかげに他ならなかった。実際に自分が見つけた、と胸を張っていえる例は一つもない。そんな奴がむやみやたらに粗捜しするより、自然に師匠が店へ戻ってくるのを待っていたほうがよっぽど建設的だと、いつもなら考えない所までライは考える。

「んー……」

 再び呻き声を洩らし、髪をわしゃわしゃかき回す。くせっ毛が更に飛び跳ね、まるで光合成をする木の葉のように、より沢山の太陽の光が当たるよう試行錯誤しているよう。多方に伸びる道の灰色と白のコンクリートを靴でかつん、かつんと打ち鳴らし、どうしたもんかと首をひねると、目の前に桃色の髪と瞳が飛び出した。

「せっかく来たんだよ? 顔を見せてあげた方が、絶対いいよ」
「そーだよな。ここんところ、ずっと来れずじまいだったし」

 それでもライは煮え切らない声をあげ、本屋の前から武具を中心に商売をする店の端っこにたどり着くまで考えて、小さく息をついた。

「ん、師匠を探そう。近くにいるはずらしいし。……ごめんな」

 本当は最初から決まっていた答えを、隣でずっと決断を待っていたエニシアに告げる。待っているなんてこと、ライの性分ではなかったし、教わりに来た分際で偉そうに帰りを待ち望むのも違う気がする。けれども、結構な距離を一緒に歩いてきてくれたエニシアを、これ以上連れまわすのも気が引けたのも事実だった。

「ううん。私はライと一緒にいたかったから、無理して連れてきてもらったんだよ。全然大丈夫」

 ライの心情を察したようにエニシアは緩やかに走って見せ、片足でブレーキをかけながら振り返る。横に少しだけ垂らした桃色の髪がふわりと跳ね、波打った。

「うしっ! そんじゃ早いとこ師匠見っけて用事を終わらせて、ゆっくり街を見て回ろーな!」

 結局連れ回すことは変わらないことにライは今更気づきながらも、綺麗な笑顔で頷き、料理の器具がショーケースに飾られている店を指差し「まずはここだね!」と走り出したエニシアの後を追った。








[2012/08/25 - 再録]