二人はいつも一定の距離を開けて歩く。それ以上近くへも行かず遠くへ離れることもなく、瞬間接着剤で固められた棒が引っ付いたのをそのまま放って置いているように正確な、妙に余所余所しい空間を形成する。
 なのに誰かが穴を取り繕うように真ん中へと足を踏み入れると、大抵右側にいる青年が睨みを効かせ舌打ちをしてきたり、普段流れるような会話を繰り広げる左側の少女はあらゆる面でぎくしゃくする。それが面白くておかしくて、なぜだか少しだけ悲しくて、時折アニスは故意にちょっかいを出す。三回に一回の確率で喰えない三十路すぎ(そこだけ時間が狂っているかのような若々しさは脅威)も共にからかいに参加するものの、彼は全力でいじくり倒す対象としかみていないだろうとアニスは思う。実際の所、どういった思案の元なのか体を駆け巡るそれの色をそのまま透けだした瞳からは推し量れないのだが。




 そんな事をぼんやりと脳内の波に流し込んでいたのは所々にキノコが生えた、なんとも胡散臭そうな紫がかった森散策の帰路のことだった。そこはかとなくなんて淡い表現を全力で通り越して立ち込める様々なキノコだけを入れた闇鍋みたいな匂いに嗅覚が麻痺し、とてつもなく食欲を削ぎ取られたついでとばかりに気力も吸われていったアニスはだらだらと後ろの方を歩いていた。
 ずかずか機嫌悪そうに早足する長髪の方の赤毛と心配そうについていくふわふわな金髪の印象的な王女様がずっと前に、他は疲れのためかやる気の削減のためか馬に蹴られるのを避けるための防衛線か、まあ色々な理由の元に彼らとの距離を開けているので比較的アニスの近くに位置している。
 この中に短髪の赤毛は居ない。同極の磁石のように、彼と彼が共に行動することは、少なくともアニスの覚えている範囲では皆無だ。待ちぼうけを食らいながらも、自分から言い出したことだしとか卑屈になって留守番の任を果たしている姿が眼に浮かぶ。
 そろそろ帰り道も半分終えた気のする(個人的見解。実際はどうなのかは知ったことじゃない)段階にさしかかった頃、右斜め前を歩んでいた青年がおもむろに歩調を緩めアニスの隣に近寄ってきた。もちろん己の許容範囲を重視してアニスとそれなりの距離を取って。

「どう思う、あれ」

 ぶしつけに呟かれた言葉の意味を咀嚼するために、アニスはまず声の主の顔色を伺うことに努める。見上げてやっと覗ける瞳は思いのほか真剣で、その先を前へと固定したまま。意図を把握した途端思わず嘆息が漏れた。

「あー、どうもこうも。相変わらずって感じ?」
「え、なにが?」

 音量を押さえることなくむしろ大声で投げた言葉に、亜麻色の長髪が翻った。さらさら流れるそれを払いながら眼を見開き、アニスたちの群れに加わる。

「ああ、あのな」
「あそこの王族の話ですよ。ねーガイ、アニース」

 背後からひょっこり現れた影と声に驚いて舌を噛みそうになりながら空を見上げるように首を曲げると、赤い瞳に出くわした。地獄耳、と内心呟きそうになるもそれを止める。相手は他人の心境さえ読み取って有効利用していそうな人間だ。下手なことは考えない方がいいと脳内に大仰な警告が走る。
 色々なものを紛らわすために「そうですよーつかず離れずのナタリアたちに、親がこの巣立つ姿を見守るような生暖かい感じで、いたって普通な世間話に花を咲かせていたんですうー」とか適当に語ってみせた。即興にしてはなかなか的を射ている気がする、と保険として更に思考の方向転換を行うことも忘れない。

「ティアと旦那はどう思う?」

 アニスの隣に定着したティアは口元に手をあてて「余所余所しくは感じるけれど」ともっともな事を述べたが自分でもあまり有効な意見とは思わなかったらしい。早々に「大佐は?」と匙を投げた。投げられた匙を上手く受け取ったジェイドはふむとひとつ頷いてから胡散臭い笑みを讃えて人差し指を立ててみせる。

「みててこんなに面白い人がいていいんでしょうかーってくらい面白いですねー」
「あ、それアニスちゃんも分かりますよー。からかいがいがあるって言うか、むしろからかってくれって言ってるようなもんですよね!」

 つい本音が口から零れた。勢いとはなかなか恐ろしいものである。「おや? 私はそこまでは言ってませんよー」としらじらしくも言ってのけたジェイドに「いやですねー大佐。大佐の本音を代弁して差し上げたんじゃないですかあ!」と手を伸ばして遠い背中を軽く叩いた。言葉の応酬(あくまでもただのスキンシップである。本気でやりあって勝てるわけがないことは百も承知)が仲間内の良心を置いてけぼりにするが、絡んだら被害の拡大と直結するのである意味正しい均衡である。

「おまえら、さっきから黙って聞いてれば……!」

 ふいに遠くから地を張ってどす黒い声が乱入してきた。近場をふよふよしていた視線を進行方向へ戻してみると、なんだかすごい形相をしている赤毛がこちらを睨んでいる。
 わあ、鬼がいる。弾んだ声が気管内で暴れまわる。投げ出してしまいたかったけれど自粛した。けれども「アッシュ、どうしたのですか?」と呑気に問いかけるナタリアの肩に手をかけて「少し待っていろ」みたいな事を言ってやんわり制す光景が一枚壁を隔てた向こう側に展開され、アニスの殊勝な自制が早くも崩れ落ちてしまった。

「大佐、今すごく近づきました! 一歩前進ですね!」

 我ながらすごくいい笑顔を浮かべているだろうなと予想できるくらいの輝いた声が紫色に染まった空気を揺らす。

「本当ですねー。小鹿が自分の足で立ったときのような感動です」

 アニスの純粋な感動にか、彼だからこそ言えるその物言いにか、どちらかもしくは両方の弁に反応して赤毛は迷いなく鞘から剣抜いた。これはやばそうだ。アニスの「逃げるが勝ち!」を合図にみんなばらばらに散らばっていく。
 私、大して何も言ってないんだけど。まったくだ。嘆息混じりに聞こえた呆れにアニスは苦笑する。もともとの発端はあなたです、といってやりたかったが怒涛の勢いで迫り来る鬼の狙いは間違いなく自分だろうと予想できたので、うっそうと生えるキノコの間をすり抜ける。
 発狂に似た怒声が背中に殴りこまれるも、全然怖くなんてない。薄まる気配のないキノコ臭の代わりに、脳裏にちらつく一定距離の図がぼんやりかすんで思わず頬が緩んだ。








[2012/08/25 - 再録]