確かな力を感じる灯火を祭壇に灯すと、金髪の穏やかな笑みを讃えた少年も、青い髪を緩く一つに結った青年も、ロイドのよく知る肉親も、緩やかに融けていく。
 悲痛に伸ばしそうになった手を、唇をかみ締めて耐え、自分たちの世界に戻るのを待った。

「ロイド、もう終わった」

 低く鼓膜を打つ声に、知らず閉じていた瞼を開く。本で埋め尽くされた空間に佇む自分と仲間達を確認し、掌を見る。持っていたはずの本は跡形もなく、虚空をつかんでいるだけだった。

「父さん」

 声が震えているのがロイド自身にも分かった。手に残る重みが、瞳に焼きついたあの微笑みが、何度も脳裏に蘇る。

「一旦宿で休んだ方がいい。全員体力を消耗している」

 鳶色の髪が目にかかるのを気にかけた風もなく、クラトスはひとつ頷いて仲間達に休息を提案する。その言葉に反論する者は一人もいない。皆疲れた足を引きずって、町の入り口付近に建つ簡素な宿へと向かった。




「父さん。俺、あのミトスと戦うのが辛かった」

 傾いた太陽は赤みを帯び、その光を大地に降り注いでいる。窓から伺える紅は目に痛く、涙腺をしたたかに刺激した。

「あんな風に笑うミトスは、俺たちが一緒に行動してたミトスで、でも今のミトスはあの時のミトスじゃないんだろ」

 頭の整理が出来ていないまま言葉を連ねていく所為か、いつにもまして概要を掴みにくい内容になった。それでもクラトスには痛いくらい伝わったらしく、磨いていた剣を床に置き、ソファに腰を沈めるロイドの隣に座り込んだ。

「ミトスは、とても素直な子だった。真直ぐで、大抵の障害には屈せず、突き進む強さを持っていた」
「ミトス、この世界が大好きだったんだな。だから今も方法は違うけど、世界を成り立たせようとしてるんだ」

 手の甲に当てられた母親の命の結晶を撫で、ロイドは深く息を吐いた。母の命を蝕んだ石を初めは認められなかったけれど、ここで確かにロイドを護り、支えてくれることに感謝している。だから今、父に会え、仲間達と共に旅をし、終着点へと歩み続けている。

「大丈夫だ。お前なら最後まで真直ぐに貫き通せる。ミトスの届かなかったものに手を伸ばせる」

 言葉が切れた丁度その時、頭にぽんと手が置かれた。自分よりもずっと大きい、沢山の大事なものを護って、時には失った悲しみを知った父親の手。
 その優しい手はロイドの堅い髪をくしゃくしゃ撫で回して、くすぐったい気持ちになったが、不器用な父の優しさに触れた気がして、はにかみながら頷いた。





[2012/08/25 - 再録]








 首筋に冷たい雫が這いつくばり、吹き出すのを留める工程に移る気配はいまだ見えない。ついでにそれらを拭き取る余裕なんてあるわけがなく、額から伸びる筋のひとつが荒い息を繰り返す口に侵入してきた。

「どうした、これで終わりか」

 揺ぎ無く突きつけられた剣先の奥から無表情な声が漏れる。赤銅色の髪に隠れがちな顔には汗の光がないどころか、息一つさえ乱していない。
 認めたくないものの、この歴然とした差に舌を巻かざるをえないと少年は大きく息をついて小さく笑った。

「まだだ、って言いたいけど、少し休憩! 手がしびれて剣落としそーだ」

 構えた剣を鞘に収め、軽く両手を挙げる。いちいち重い一撃を何度も喰らったうえに、元々が二刀流であるために、腕にかかる負担が大きくてしょうがない。
 少しの間を置いてから、旅仲間の傭兵は「まったく」とあきれたように呟いたが、少年の眼前に向けた剣を引いてくれたので、了承と解釈する。
 その場で地べたに座って後ろに倒れこみ、ゆるゆると瞼を下ろす。どこかから聞こえる小鳥のさえずりあまりにも楽しそうなので、世界の衰退からかけ離れた場所のように思えた。





[2012/08/25 - 再録]








「俺さ」

 振り下ろした剣先を自然の構えに戻しながら、背後からかけられた声に耳を澄ます。少年もクラトスと等しく切り倒すべき魔物の群集に囲まれているのに、緊張感というものは全く伺えない。

「あんたと背中合わせで戦ってみたかったんだよなー」

 とん、と背中に当たったものは少年の背中だったのだろう。寄りかかるように添えられたそれを通じてどこか嬉しそうな気配を感じる。

「そんな状況、何度もあったろう」
「俺、あんたの背中預けてもらった覚えないけど?」

 言い返すにも身に覚えがあったので適切な反論は出てこず、仕方なしに「そうか」とだけ返す。何がそうかなのか自分でも把握してはいないが、笑って流すよりかは幾分かましだと思う。

「あの時は、旅が終わる頃にはこうやって戦えるようになるかなーって思ってたけど、本当になって良かった」

 良かった、追いつけて。
 追いつくどころか追い越していることを証明していたのに、と呆れつつ、日和見から抜けざわりと動き始めた敵の半分(つまるところが後ろ全般)を少年に任せて、景気付けに力強く地面を蹴りつけて駆けた。





[2012/08/25 - 再録]








「生きていて、見つけた。それでどうしたかった?」

 多分それは父親のことで以前に話した戯言のような軽い語りを指しているのだと、ロイドはなぜか一発でクラトスの言いたい事を正しく汲み取れた。

「んー、特には。ただ会えればいいなって思ってただけ」

 親に会いたいと願うだけではダメなのだろうか。
 ロイドは首を傾げつつも、海水で濡れた体にざらりと浜砂がくっつくのに気持ち悪さを覚えて、すっかり疑問を投げ捨てて顔全体をしかめた。けれどそれを掃っても、体を座らせた際にしょうこりなく張り付いてくることを、今日の経験で学習したのでそのまま我慢する。
 ロイドはそれだけで問題は解決するのだが、クラトスに至ってはマントや手袋は外しているものの暑そうな服を纏っていることには変わりなく、辛いのではないかと懸念する。
「ねっちゅうしょう」という病みたいなものがこの世に存在している事を、先程リフィルから教えられ各自適度に水分補給をするようにとの注意がかかったのを、ロイドは奇跡的に覚えていた。
 見たところ水を口にしているようには見えないクラトスが、その「ねっちゅうしょう」にかかって倒れでもしたらと思うと、曲がりなりにも息子であるロイドは純粋に心配する。

「でもさー、母さんの仇をとった後はそのこと知らせて安心させたかったけど、結局一緒に殺ったし。とどめさしたのクラトスだし」

 心配しながらしゃべっていたら何だか拗ねた物言いになったので、なにも考えずに言葉を連ねるのはやめた。いつもは考えて言っているのかといわれれば、そんなはずはないのだが、心ここにあらずに近い感覚では少し考えものだと思う。

「だから、今のままでいいかなー。時々こんな風にのんびり過ごせれば」

 声を投げてみたものの、絶対にそんな日々はすぐに幕を閉じることくらい、ロイドにだって分かっていた。長い長い日の光が真前から荒波のようにとめどなくやってきて、深い影を落とす。その拍子に他にも何か大事なものをどこかに置き去りにしているような気がしたが、結局分からずロイドはなくならない闇から眼を反らした。

「そうか」

 眼をどこに向けようかと悩んでいると、クラトスが小さく呟いたのが耳に入り、ロイドは本当の父親を仰いだ。その紛れもない父の横顔は少しだけ緩んでいて、ロイドはそれ以上に顔の筋肉を緩ませたり張らせたりして、にかっと元気に笑った。





[2012/08/25 - 再録]








   彼の翼は海だった。吸い込まれそうなほどに深い底にたどり着けない海の色。空を飛ぶために羽ばたくそれが、対極の心を宿しているのはなんて皮肉なことだろうと少年は泣きそうになる。
 けれども流す心の泣き声は、もう親を失くしてしまったと知った時に一生分を使い果たしてしまったらしく、鼻につうんと来るものでしか、自分が愕然と目の前を瞳に焼き付けて、いかに感情が沈んだのかを表してはくれなかった。

「――――……」

 低く厳しげな声が何を囁いたのかを少年は理解できなかった。耳から脳に伝えられるものの、肝心の脳が機能する事を拒否し続けて頭に何一つ残らない。言葉をまともに受け取ることが出来ず、かといって受け流せるものでもない事を本能で感じ取る。
 何かを叫びはするものの、もはや己の言葉さえもよく分からず、本当にこえを発しているのかも危うかった。一人一人が有する動作全てがこの空間に乗っ取られているよう。
 この空間は異次元だと、一目内部を見たとき顔を引きつらせた。萌える様に己を伸ばす植物も、芽吹く事を許す地も、優しく強く照らす日の光も、頬を撫でる風も何もかもを拒んだ世界。孤独を不変に仕立て上げる、在るのに無い無機質な。
 その押しつぶされそうな圧力を再度感じ、頭が狂いそうだと少年はもう狂ってしまったかもしれない頭を抱え、鳥肌を立たせる。これは異質だ、今まで見てきたどの場所をも圧倒的に違う、独創的な自惚れを思わせる。
 おもむろに柄を握った男を見て、少年は歯を食いしばる。ふと男の無を通した瞳に悲壮な色が浮かぶのを見た気がして、歯にかかる力を若干抜く。哀れみからか同情からか。その瞳の真意は分からなかったが、少年は何か胸につかえるものを確かに認めつつも、人形になってしまった少女を取り戻すべく、柄を一度だけ撫で、引き抜いた。





[2012/08/25 - 再録]








 今日も花が添えられていた。
 家に帰ってくるときには必ず母の墓石に挨拶をしにいくのは、小さい頃からの習慣だったが、あまり花を手向けるということはしなかった。まるでこことあっちをはっきりと区別してるみたいな、一種の決別を感じるからだ。
 だからロイドも育ての親のドワーフも、わざわざ摘んでくることはない。一年に数回、墓前が彩られていれば良い方だった。
 それなのに最近、母の周りが一際明るくなったのは、療養のため家に滞在する父親が原因に違いない。確認を取ったわけではないが、息子の自分が間違えるわけがなかった。
 今までの空白を埋めるかのように毎日律儀に変わる花々の中で、一種だけいつも混ぜられている淡い色のそれ。どこにでも咲いているその花は、旅の途中でもよく見かけたが、何度か彼がその花に視線を落としているところを見たことがある。

「かあさん」

 花たちに埋もれてくすみそうになる件の花を掬いだして墓石に近づける。小さくて柔らかい色合いのその花は、それなのに芯の強そうな印象を受けた。
 さらさらと風がそよぐ。危うく飛ばされようになった花を慌てて掴んで、少し考えてから、茎の部分に小石を乗せて踵を返した。





[2012/08/25 - 再録]








 思い切り首をそらせると、ロイドにとってはだいぶ高い位置に鳶色が見えた。短く切りそろえられた髪はくらくら揺れる椅子に合わせて動き、瞳はゆるやかに細められている。
 手際よく操られる指先は二本の棒を携えて、くるりくるりと淡い色合いの糸をすり抜けるさまは、まるで魔法のようだった。

「いとー」

 目の前にまで垂れ下がっていた絡み合う糸の集合体を遠慮なく引っ張ると、鳶色の瞳をはめ込んだ顔が驚いて、それからすぐに苦笑に変わって、やんわりとロイドの手を糸の集合体から外した。手持ち無沙汰になりそうだったロイドの右手は、糸の統制を計っていた温かい手にそのまま包みこまれる。

「ロイド、お父さんには内緒よ?」

 何を内緒にするのか本当は分からなかったけれど、茶目っ気に微笑んでみせた母の表情がすごく優しかったので、ロイドはぱあと明るく笑って「うん!」と元気よく頷いた。





[2012/08/25 - 再録]








 髪と髪の間をごつごつした掌が這い、景気良い切断音が耳元に届く。次いで響く床のこすれあう音が増えるにしたがって、頭が軽くなっていくのを感じた。

「何故、髪を切ろうと思い至ったのだ」

 ひどく落ち着きのある渋い声が頭上から降り注いだ。
 少し考えて「気になるの?」と聞き返すと、一瞬髪を掬う手つきが強張り、数分かけて曖昧に濁された。
 少し面白くて足を揺らしたら、座り込んだ古椅子が軋んだ。お咎めが入る前に姿勢を正し、誤魔化せないけど気持ちだけは誤魔化したつもりではにかむ。零れ落ちてきた嘆息はこの際気にしない。

「ロイドがね、髪を引っ張るのよ」

 ぱさり、ぱさり。再開した髪の短くなる音色に混ぜながら音量を抑えて話し、ベットですやすや眠る子どもを示した。ごまかそうと勝手に名前を使ったことに心中で謝罪し、続けて思いついた事をひたすら連ねて言ってみる。

「引っ張るだけならいいの。だけど、口に入れて飲み込んだりしたら大変じゃない。喉につっかえちゃう」

 なんだか色々おかしいような気もしたが、出してしまった言葉は取り消せないので放置する。今更他の言い訳を考えるのは無理があるし。
 言い訳をすることに言い訳をしてからクラトスの動きを待った。一分も満たない時間を空けてから「普通は、」と言いかけて、結局飲み込まれた。うわあ、だめだし。




 沈黙がだらだらと部屋中に這い蹲ってしばらくたった頃、断髪が無事終了した声がかけられた。

「ありがとう、クラトス」

 言いつつ髪を触ってみる。肩の少し上でばっさり切られた髪は丁寧に整えられていた。
 自分より器用に物事をこなすクラトスは、どうやら整髪もアンナより上手くこなすらしいことを牧場を脱走した直後に悟ったのだが、やはりこう、妻として悔しいというかなんというか。

「かーさ?」

 床に散らばった髪を片付けようと動き出したクラトスに、慌てて自分もと立ち上がりかけたとき、ロイドが鳶色の髪を跳ねさせたまま、寝ぼけ眼をこすりながらこちらを向いた。
 クラトスに視線を送ると一つ頷かれ、再度感謝の意を述べてから、にっこり笑って息子を抱きかかえる。

「かみ、なくなった?」

 ロイドが寝ている間に起こった変化に気づいたらしく、手を伸ばして髪をつかもうとする。

「そーよ、どう、似合う?」

 結局届かなくてアンナの肩をぺちぺち叩いていた手を止め、ロイドは瞳をくりくりさせた。理解し損ねたらしく、それでも首を傾げて「うん?」と言ってくれた。ちょっと嬉しい。

「ねえ、クラトスは?」

 言葉を投げかけながら体を回すと、あらかじめ椅子の下に紙を敷いておいたからか、すでにクラトスは片づけを終えていた。
「とーさ! かたぐるまー」と嬉しそうに手足をばたつかせるロイドと落とさないよう気をつけるアンナにクラトスがのんびり近づいてくる。

「似合う、かな」

 ロイドがクラトスに飛び移って肩を目指して這い上がっている間、クラトスは眼を泳がせた。
 少ししてから妙案が思いついたのか「前に言った」とだけ呟いてまた視線を明後日の方向へ背ける。あ、逃げられた。





[2012/08/25 - 再録]








「ご機嫌だな」

 思った事を脳内処理をかけずにそのまま口にしたことに気づいたのは、文字通り全て言い終わったあとだった。適当に取り繕うこともできただろうが、なんとなくやめてしまった。
 肩の上で切り揃えられた鳶色の髪を揺らしながら、そうかしらと呟く声が軽やかに踊り鼓膜を叩いたからかもしれない。あるいは、純粋な興味からか。

「多分ね」

 一度言葉を切って、じっとアンナはクラトスの顔を覗き込んだ。内心のたじろぎを表情の裏に隠しながら「どうした」と唸り声みたいに言葉を押し出す。
 妙な間を空けてから、アンナは何か確信を得たように一つ頷き、とっておきの情報を提供するような、小さな驚きを投げ渡すかのような微笑みとともに言い出した。

「あなたが嬉しそうだからじゃないかしら、クラトス」





[2012/08/25 - 再録]