魔術師が繰り出す火の粉よりは小さめのそれが、無機質な部屋の中で右往左往するさまを目で追う。鏡に当たれば律儀に反射し、壁にぶつかればふわりと掻き消える。その所作を両手に数えられないほどの回数行っていたが、コレットたちはいまだに次の部屋への移動が出来ずにいた。

「あーもーなんなんだよこの仕掛け!」

 元より飽きっぽい性分の少年は鳶色の髪を乱暴に引っ掻き回し唸り始めた。その内床中をのた打ち回りそうな勢いだったので、コレットは僅かな不安を感じ腰を浮かす。

「ロイド、代わろっか?」

 コレットの交代の申し出に飽き性の少年、ロイドはぴたりと動きを止めたがそれは一瞬のことで、すぐに首と両手を横に振り出した。

「いいいいやコレットは休んでろって! この前の傷ひどかったし、試練だってあるだろっ」
「そうだよコレット。たまにはロイドに頭使わせないと、引き算までできなくなるかもしれないんだからー」

 隣で一緒に観戦状態のジーニアスが、からかい混じりにかたかた笑う。妙なフォローに親愛の印かもしれない(ただしそう思い込むのに若干の努力が必要)皮肉に、手伝ってくれない友達がいのないやつめみたいな気持ちがごった煮になったのか、ロイドは恨みがましくジーニアスを見たが、そのジーニアスは済ました顔で「全部仕掛けといてやるって意気込んでたのは誰だったっけー」と投げ出した足をぱたぱたさせただけだった。

「ほら、座って座って」

 ジーニアスが再度座り込ませるためにコレットの袖を引いたのを視覚に捕らえて、ふてくされたロイドを案じながらも大人しく従う。

「ってちょっとコレット、血が出てる!」

 唐突に放たれたジーニアスの慌てた声にロイドとコレットは揃ってジーニアスの視線を辿った。行き先はコレットの左手で、甲の真ん中にぱっくりと割れ目がはいっていた。初期の段階で空気に触れた血は中途半端に乾いていて、新しい紅はその上に覆いかぶさり盛り上がりつつある。

「うわ大丈夫か、コレット」

 大丈夫だった。触覚はすでに神へと吸い込まれていたので気づかなかったし、目の当たりにしている今も痛いのか分からなかった。分かろうと努力することも最近は怠っていた。その事実を直接伝えるのを憚っていたら「あ、ほんとだ」と存外間の抜けた声が後先考えず飛び出して、ゆっくりとひんやりしていそうな空気に呑まれていった。

「もー。なんでそんなに呑気なのさ」 

 呆れつつもジーニアスの行動は早かった。背負った小振りのバックから白地の布を取り出し、迷いなくコレットの甲に布を当てる。

「駄目だよ、汚れちゃう。わたしはだいじょぶだよ?」

 感覚がないから、とは言わなかった。もう二人とも知っている事柄であったし、口に出すにはあまりにも辛かった。

「傷口から黴菌が入ったらどうするのさ。悪化は避けるべきだよ」
「そうだぞ。感覚がないからって、傷をほっといていい理由にはなんねーぜ」
「……ロイドって本当、いろんな所で自滅するよね」

 不器用に布を巻きつけながらジーニアスはじっとりとした視線をロイドに投げつける。それでようやく自分の失言に気づいたロイドは即座にコレットへ謝罪を告げた。その過程が少しおかしくてコレットは思わず噴き出した。

「ううん。だいじょぶだよ、気にしないで」

 ロイドが心の底からなのか、分かりやすく胸をなでおろした。それにコレットも安心する。できるなら、自分のせいで気に病む事柄を少しでも減らしたかった。もう長くはない自身の命のために友人達が縛られてしまうのは、心が消えてしまうよりも悲しいことだと思う。

「もし辛いことあったら言ってよね。僕だって、コレットの友達だよ」

 ロイドを頼っちゃうのは、まあ、分からなくもないけどさー。少し拗ねた調子で、でも軽い物言いでジーニアスは微笑する。コレットの眼に映ったその表情は、少し大人びて見えた。

「よし、姉さん達と合流できるまでは我慢してよね」

 簡易な手当ての終わった甲をジーニアスが軽く叩く。ジーニアスの体温も当たった指の感触も分からなかったけれど、掌についた血を気にもとめないジーニアスの優しさは、奪われかけた心を温めてくれた。

「そーだジーニアス、本当手伝えよ! この調子じゃクラトスに怒られる……!」
「え、ちょっとそれじゃあ姉さんにも怒られるってこと? 急がないといけないじゃんか!」

 怒られるというより心配されてると思うなあ、と口に出したら怪訝な顔をされるような気がしたので、慌てて仕掛けを解きだした二人に声援だけを送って微笑みを浮かべた。








[2012/08/25 - 再録]