吹き荒れる風は生暖かく首下を過ぎる。草はそれに抵抗する術を知らずに、大衆の流れを再現するかのように揺れ動いていた。

「いらっしゃい。けど、そんなにお付きの人はいらなかったかな?」

 くつくつと愉快そうに青年は笑った。その斜め後ろで控える紫髪の娘は複雑な表情をしていて、逆に何も感じていないような違和感を覚える。
 他に否応なく見知った顔ぶれはいない。他の「手駒」は要らないと判断したらしい。かなりの自信だった。

「っによ、あんた! ずいぶんな態度じゃない?」

 鼻を鳴らし一歩前に踏み込む幼馴染の顔に余裕がないのを、フェアは横目で認めた。それは虚勢に見える、小動物のようなもののようだと感じながら青年を見据える。

「私としては、穏便に事を済ませたいのだがね」
「今まで散々暴れまわった奴らの言う言葉じゃないですわ!」

 仲間たちの一部は見るからに喧嘩腰だった。これじゃあどっちもどっちじゃないかとフェアは内心嘆息をつく。この場を収めるのは、やっぱりフェアの役目らしい。いつもこんな役回りと、それを引き受けてしまう自分の甘さを痛感する。

「今度は、手を差し出してはくれないんだね」

 一瞬息を呑む音がして、「何いってるんだ!」と罵声が飛ぶ。フェアを信じている、本当に一部の付き合った日の浅い仲間達の顔が奇妙に歪むのを、フェアと、ギアンという名前を両親から受け取った青年は、これ以上おかしなものはないというように、違う顔の歪ませ方をする。
 ずっと前から町で暮らした友達は何かを知っていたように立っていた。泣きそうな瞳だった。

「お望みとあらば手の一つや二つ」

 距離の離れたところから手を差し出されても届かない事を分かっているので、フェアはしょうがなく足を動かす。背後からの混乱した声に背中を押され、ギアンの前に着いた時には、すぐにその手に自分の一回りも二周りも小さい手を乗せた。
 ギアンは好感の持てる眼差しで「歓迎する」と一礼を送り、勝ち誇ったふんぞり返りを呆然と立ち尽くす者どもに見せしめる。

「どうして、」

 そう呟いたのはフェアから見て斜め前の位置で立ち尽くす半魔の娘で、見慣れた普通の人間の姿でフェアをじいっと見ていた。

「あなたと同じだよ? ポムニット」
「わたくしはっ」
「何も違わない、同じなんだよ。私はあそこにいるべき存在ではないの」
「どうしてっ」

 後ろに一瞥を投げるのと同時に天使の声が平原を震わせる。けれどこの無駄に広い空間を満たす叫びには程遠く、すぐに風にかき消された。

「貴方は、どんな逆境でも御子様を渡さないと言いましたわ! なのに貴方は、自分だけそいつらのところへ行くんですの!?」
「勘違い、いけない」

 頑なに前を向き続けていたコーラルがぼそりと声を零す。空気に消え入ってしまう前に運良く耳が拾った言葉に小首を傾げ、セルファンの射者が問いただす。

「お母さんはずっと僕を見守ってくれる。これからも、そうでしょう」
「ええ、もちろん」
「なに言って…」
「渡さないって言ってくれた。約束を守ってくれた。だから今度は僕がお母さんの約束を手伝ってあげる。それが、お母さんの子どもが当然のようにする事だと思ったから」

 声を重ねるようにコーラルはぽつぽつと喋り、足を交互に動かす。後を追おうとする御使いや少年剣士の邪魔をするように、ギアンが集めた暗殺者が、コーラルを飛び越して襲い掛かっていく。

「ありがとう、私の大切な子、世界で一番優しい子」

 コーラル自身の足でフェアの元にたどり着いたとき、フェアはまずコーラルを抱きしめてそういった。

「いこうか、さすがの君でも元仲間と戦うのは辛いだろう?」
「ええ。でも、できれば誰も死なせずに終わらせてくれると嬉しいかな」
「お安い御用さ」

 そういってギアンは魔力の集中に映った。彼は自分の魔力を利用して、城との行き来を可能にしているらしい。その間若干暇を持て余すはめになったので、遠目からいつぞやの約束稽古のような光景を見つめる。
 暗殺者をなぎ払い、必死にこちらへ視線で訴えてくる強い光を宿すいくつかの瞳を真っ向から見据える。その後ろで剣を鞘に収めたまま立ち尽くす少年や少女や、今まで長い間一緒に暮らした親しい皆はただ、諦めたように俯いていた。それがとても嬉しくて悲しくて、フェアは胸中で祈るように呟いた。やさしいひと、どうか命を落とさないでください。

「もしかしたら、一言で未来は変わっていたのかもしれないのね」

 その一言が何なのかフェアは分かるはずもなかったが、他に言うことが思い浮かばなかったので、餞別代りに言葉を残した。小さな声は吹き戦ぐ風に持っていかれて、遠い空の下で消滅する。もしかしたらギアンの一言でこういった風に狂ったのかもしれなかったが、フェアの未来は今ここにあった。
 やがてギアンによって空けられた時空の穴へ、ギアンの手を借りながら、振り返ることなくその中へ入っていった。





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[2012/08/25 - 再録]