透き通るような青い空の下、ここに残ると言い出したルークに最後にならないことを願う言葉をティア以外の仲間がひとしきり投げかけた後、ティアは深呼吸をして一歩前に踏み出した。その硬い動作に気づいたルークは苦笑の上に引きつりを加え、何も言わずに短く刈った赤毛を揺らす。それが実に儚げでティアは彼のいない世界にひどく恐怖を覚えた。逢おうと思えば逢える世界と逢いたいと思っても逢えない世界とは根本的なところが全て違う、別次元の物。今まで一度も味わったことのない痛みがティアの心の中心に迸った。両親がいなくなったときの兄の悲しみもこのような物だったのだろうか。こんなどうしようもない絶望感を抱きながらあらゆるものと戦っていたのだろうか。

「必ず帰ってきて、必ずよ」

 怖い怖いと心が悲痛な声をあげながらティアは自分でも無茶苦茶だと感じる約束をねだった。ルークの今までの曖昧なごまかしに慣れた顔に、大きな罪悪感が滲み出したように見える。それは彼が持つべき物ではなくむしろティアが持つための物であって、ティアはそれをふんだくる様に強い口調で続けた。

「約束。指切りして」

 もう消えてしまったらしいもう一人の赤毛の青年が毛嫌いした小指の絡み合いを要求する勢いで、ティアは一番小さな指を立てた左手を差し出した。少しの戸惑いを表情で表しルークはその手を受け取れずにどうしたものかと左手を宙に漂わせる。出来ないと思われる約束はしたくないのをティアは知っていた。先程から仲間たちを立て続けにごまかしていったから。

「死ぬ気はないのでしょう」
「そりゃそうだけど、」
「なら、約束。しないと貴方、諦めちゃうから」

 ルークは数回奇妙な呻きを立て続けに上げた後とうとう根負けしてふうとため息をつき、恐ろしくふわりとした微笑を浮かべてティアの小指に自分の小指を絡み合わせた。いち、に、さんと上下に揺らしている間、どうしてこんなにも重要な役割を小指は持っているのだろうとティアはつながれた指を見つめながら初めて実感した気持ちに首を傾げた。大切な人をこの世に結びつけるための役割を、なぜこんなに弱々しい指は与えられているのだろうか。それとも弱々しいからこそ、人をつなげるものとして暖かな輪を形作っているのか。そうこうしているうちにルークのハリセンボン飲ますという声が響き渡り、ティアは名残惜しくも緩々とルークの指を放す。

「じゃあ、また」

 ティアのその言葉にはやはり困ったような顔を見せて、その顔がもう逢えないよと物語っていてティアは即行背を向けた。これ以上彼に出来ることは何もない。ない、……

「ルーク、」

 一言、一言だけ。言いたかったことがあった。それを口に出したかった。出した後何が残るか分からないけれど、どうかせめて彼の未来が一秒でも長く、そしてその中に私がいますようにと我ながら贅沢な願いを込めて。
 そんな事を想いとして詰め込みながらたった三文字呟いた。すぐに風に飲まれ、ルークに聞こえたかは定かではないが、ティアの心は不思議とすっと透明になった。それはまるで完全燃焼した後の、あの綺麗な無のような。その気持ちを本当にもっていいのだろうかと不安になるほど澄み渡っていた。
 金髪の青年の催促と柔らかな追い風に体を引かれたり押されたりしてティアはそのままついて行こうとする。一歩二歩と交互に足を前に出して。

「ティア、ちょっとっ」

 まさかこの時この場でルークに呼び止められるとは微塵も思わず、ティアは驚きつつ反射的に振り向いた。途端に視界を埋め尽くそうとばっと飛び出てきた物にまた驚愕し、ひゃっと小さく声をあげる。

「一年っ! 一年経ったら読んでくれ」

 なぜ一年なのか、すぐに読んではいけないのか、そもそもなんで自分に渡すのか。
 さまざまな思いと疑問に駆られながらも、真摯な碧の瞳を前にしてティアは何も聞けなかった。軽口を叩ける余裕も度胸も強さも消え失せて、呆然とルークと彼の思い出を綴られているノートを交互に見比べる。何度も目にしている、書いているところを見たことがある。綺麗にとられているとは言いがたい、彼の性格がかなり見え隠れしている一冊の日記。受け取っていいのだろうかとティアは迷った。自分がもっていて、いいの。
 ただ、その時その時こうして出来る限り繋ぎとめてあげないと彼が本当に消えてしまうような気がした。これを受け取ることで彼の希望の灯火が大きくなるのなら、どんなことでも。
 ティアはおずおずと手を伸ばし日記を掴むとルークは今までで一番綺麗な笑顔で手を離す。きっちりティアの腕に抱きかかえられるのを見届けて、ルークはまた綺麗に微笑んだ。

「また、逢おうな」

 ルークはおそらくティアにだけ聞こえる声でそう呟いて、ティアをくるりと回転させてから背中を軽く押す。ゆっくりと歩きつつもう一度振り向くと軽く手を振る赤い髪の青年が早く行けというように剣を抜こうとしていた。
 日記を抱く腕に力がこもり、ティアは何かへばりつく負の異物を振り切るように先を行く仲間の後を追って階段を駆け下りた。





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[2012/08/25 - 再録]