「ごめんなさいまだこっちはしばらくというか何週間か終わる兆しが見えません」
「気にするな、先にこっちの案は練っとくから」
それじゃあ意味がないとアニスはいう権利を持てずに素直にお願いと本来半分ずつ持っているはずの責任を一時ガイに丸々明け渡した。我ながらなんて墓穴を掘っているのだろう。
だいたいガイがわざわざダアトに訪ねてきたのはグランコクマとの外交関係での論議をまとめるためで別に会うためだけに遣ってきたわけではない。いつもガイに逢えると浮き足たっていたアニスも充分承知していたはずで、ついでに違う種の自分の仕事もあるわけで。それに続いて追い討ちをかけるように度重なる日程のずれによって私分の事務はア容赦なくニスの作業机を占領するほどに増殖していた。それを終えるのはきっと何週間もかかると容易に予想できる。自慢ではないが事務的作業はアニスと恐ろしいくらい相性が合わないので効率もさらさら上がらない。加えて内容が増えるにつれてアニスのやる気が大きく下がるので更に遅くなること請け合いだった。本当にどこまでガイに迷惑をかけているんだか。そう思ってアニスはため息を大きく吐き出しそうになり止めようとしたがどうせこの頃ずっとついているのだからと日頃を思い出し別にいっかとそのまま続行した。
どうにもならないよ。人には得手不得手があるんだから。
「急がなくていいぞ。むしろしばらくこのままでも」
「えー、でもガイだって仕事あるでしょう?」
アニスの所でもこんな具合だ。さくさく仕事を片付けられるガイの方がそれこそ雪崩のようにあるだろうに。
「押し付けてきたさ、我らが寛容な王に頼んでね。それよりもいい気分転換だ。考え事を考える意味もなくなるし」
「どーいうことお?」
疑問を投げかけてからどちらに対しての疑問か分かりづらい事に気づき少女は「考え事の方」と短く付け加える。ガイは分かっていると頷いて書類を持ったまま軽く手を上げた。
「ちゃんと君は君だったって事」
「なにそれー」
聞いてから何についてかの意味に気がつきアニスはとりあえず気づいていない振りをして笑い飛ばした。アニスが昔と比べて進歩がないとか小さいとかいいたいのではなく志やそれこそ心の根本がそのまま変わらないものであることをいいたいのだと思う。普通に生活できるぐらいのスペースを心得ている仕室も書類の山で小さく見える中で二人だけの内緒話。普段は背を伸ばして猫かぶりしたり元気な子を演じるこの教会で唯一昔を思い出せる本来の元気さが潰れない時。思えば教会の中でこんなに砕けた口調になるのは久しぶりだった。昔からしっかりとした人になっていないと出世街道から外れると思っていたしはしゃぐのはいつも街中の狭い公園か大人の出入りが少ない裏庭だった。教会内でも羽目をはずせたのは誕生日のときぐらい――
「……あ」
誕生日。
「どうしたんだ?」
「忘れてたっ!?」
いきなり忘れてたといわれてもガイには伝わるはずもなく止める相手がいないことでアニスは更に混乱した。自分の誕生日すらもうすでにセントビナーを発つ前に過ぎている。ということはアニスよりも一ヶ月ほど誕生日の早いガイはそれはそれはものすごい前に通り抜けていったということで。
「わーアニスちゃんともあろうことが!!」
書類など気にせず何枚か踏みつけてアニスはガイの前に走り寄る。すぐに合掌の形にした手を顔の前に立て頭を下げてまくし立てた。
「ごめん誕生日忘れてた今からでもいいんなら何かできることでお手軽なのに限りさせていただきますがっ!」
「――ああ、そうだっけ。別にいいさ」
自分でも記憶の彼方に沈ませていたような発言にアニスは首を傾げた。誕生日を忘れることなんてあるのだろうか。それに気がついた拍子に他の哀しい出来事も一緒に思い出してアニスは自分の失態に後悔した。あ、そっか。意図的に忘れていたかったんだ。
「ごめんね、忘れてた」
「大丈夫だって、だか」
「そっちじゃなくて、亡くなった日だって忘れて騒いじゃって」
忘れてた。どんなに無責任な言葉だろうとアニスは痛感した。そんな言葉でごまかして自分の失敗を優しく包んで透明にして。何で人間はとっさに責任から逃げようとするのだろう。自分が潰れないためかその先にある怖いことから逃げようと必死になっているのか。どちらにしろ言い訳にしかならないのに。
「言っとくけどあいつらの方が恐ろしいくらいに盛大な祝い方をしたんだぞ。あれに比べればどんなに痛いことでも、それ以上には出会わないさ」
そりゃあそうだとアニスは心中で同意した。あの王族二人組の行う誕生日は使用人といえど信頼している人間には盛大かつ豪勢に祝うに決まっている。それでもアニスは自分がガイを傷つけたという事実が辛かった。負担を減らすどころか違う痛みを増やしてどうするんだ、私は。
「それよりもアニスの誕生日知らないんだけど教えてくれないか?」
話を軽く曲げてガイは苦笑しながらいった。それがアニスにはそんな事を深く考えなくてもいいんだよといわれたような錯覚を受けてなんて都合のいい錯覚を見るようになったのだろうと自らに嘲笑を打ちつける。
「アニス、そんなことで気に病まれると俺も辛いんだけど」
ぐっとかみ組んだ歯のままガイを見上げるとぽんと頭を撫でられた。その動作で物理的に近い距離になったはずなのになんだか心が遠ざかった気がするのは多分気のせいではない。
「……しょうがないなあ」
まだ硬い表情を崩さないアニスに困惑顔でため息をついた後、ガイは一瞬だけアニスを抱きしめた。包み込んでくれる腕が本当に一瞬で離れていったが今度は不思議と距離が近くなったとアニスは感じる。
「機嫌直せよ、せっかくの時間なんだから」
「――はあい」
なんとなく子ども扱いが自分との心の差に見えて悔しかったんだと自分の脳内を理解してアニスはそれなら今ので解消されたとすまし顔で返事する。この変わりようが子どもっぽいのだろうか。
「で、誕生日は?」
話を戻されアニスはどう答えようかと少し迷った。素直に日付かそれとも。
「えへ、もう過ぎてました」
結局もう過ぎ去った事をガイに伝えた。日付でもう終わってるんだと暗に示すよりも潔いような気がする。それに言い方がより自分らしくなると何かの策略みたいに考えた。
「じゃあそれで貸し借りなし。それでいいか?」
「いいの? 私が得してるよ?」
「なんで」
「なーいしょ」
短いやり取りを何回か繰り返してからにっこり笑って元気よく作業机に向かい書類と格闘し始めた。我ながら現金ながらもガイと一緒にいられるのなら。それが一番の心の支えになるからきっと大丈夫。
誕生日プレゼントなんていりませんから、どうかこの暖かい居場所をもう少しだけ。
[2012/08/25 - 再録]