「――ありがとう。無理を言ったのに来てくれて」
「いいえ、お役に立てるのなら。気にしないでください」

 不自然に会話が途切れ異様にエンジン音が機内に大きく響きティアの鼓膜を振動させ存在主張を始める。ティアは早速どうすればいいのか分からなかった。旅の頃から彼女とはあまり会話がなく更にこんなときどうやって場を取り繕うのかティアはその術を知らない。空を愛する少女と軍人ではあまりにも違いすぎたという理由はもはや唯の逃げ語りでしかなく実際もっと遠い、むしろ縁のない王族達とは隔てなく笑っていた。平たくいえばその人の心の違い。そんな弾む話題もない人間のためにわざわざユリアシティまで来てもらって更にしばらく自由を奪うことになるのに嫌味ひとつなく協力してくれる彼女がとても不思議だった。

「これでも私、貴女達に憧れていたんです」
「……どうして?」

 振動にゆるゆると揺られながら何も感じない外の景色で時間を潰していた時ノエルはそんな風に切り出した。貴女達、と言うからには彼らの事を言っているわけでそれでも自分も含まれていることにティアはいぶかしんだ。人に憧れられた覚えは少なくともティアにはなかったしついでに言えば今のティアに誇れるものなど何もない。そんな人間に、憧れて?

「操縦桿しか握れない私と違って自分の身を守れる強さや曲げない心を持っていて。出来ることなら助けたい。旅の間、ずっと思っていました」

 ずいぶんノエルに助けられている身としては、彼女に借りばかり作っているとしか考えられないのだけれども。例え自分達にその強い想いとやらがあったとしてもそれが成り立っているのは彼女のおかげだ。いつでも自分達を影で支えてくれた、ノエルの。
 まあ、とノエルはこっちの苦悩などお構い無しに吹き払い操縦席に数多く配置されている機関の機動のどれかしらに対応するもの達を慣れた手つきで迷いなく動かしながら続ける。

「しいて言えば空の色、風の吹きすぎる音や肌にあたる心地よさを思い出して欲しいです。今の貴女にそんなことを気にする余裕はないかもしれませんが、あの素晴らしい時間の中で見聞きした心よりの想いを忘れないで」

 久しぶりに会ってあなたはだいぶ変わっていました。
 そんな事を一瞬だけ見せた困惑顔で呟かれティアは確かに自分は変わったなと自嘲した。弱くなった。心も体も。あの頃が強かったとは言い切れないけどそれなりに意思は働いていた。

「ええ、思い出すわ。それがあなたに対してできる恩返しなら。もちろん、そのつもりだったけれどね」

 ノエルは満足そうに頷き、またちらりと一瞬だけティアに眼を向けすぐに戻す。操縦士は本来機体を動かしているときは人と会話をしないのが常らしい。言葉を吐くのにいちいち集中力が削がれるから。乗客を危険な目に合わせることは彼女達にとっては間違ってもあってはならないことだからといつだかに苦笑混じりに言っていたのを思い出す。それでもティアのために気まずい雰囲気は作りたくないのだとティアはノエルの優しさに感謝した。

「あの――、その本は?」

 先程ティアに視線を投げたときに一緒に見えたのか膝にぽつんと置かれた一冊のノートについて問う。どうやら彼女は知らないらしい。思えば共に行動しているにもかかわらず彼女はどうにもティアたちと一線を引いていて休憩を同じ場所で取ることは皆無だった。
 これは、世界を救った音素を糧にしてできた幼い青年の綴り物。

「……大切なものよ。彼を皆を私と繋いでいる希望の証」

 けれどなぜか素直にその言葉は出ず曖昧にごまかす形になった。そんな答えに深く追求をすることなくそうですかと小さく笑うノエルをティアはまぶしい太陽のように感じた。触れてはいけない領域で何か考えを誤って掴もうとして堕ちてしまった御伽噺の男のように何か禁忌に足を踏み出しているのかもしれないと漠然とだが不安になる。その漠然とただっぴろく広がっているのが逆に煽りとなって鼓動が痛々しくなった。どうかお願い。これ以上不安は増やさないでください。彼が帰ってこない限り私は不安に押しつぶされ続けるのですから少しだけ猶予を。ちゃんと受け止める日を作りますから。だからどうかこの我が侭な願いを叶えて。

「どこか似ているのかもしれませんね、私達」

 機体が一時降下してまた上昇し始めたころノエルは優しく呟いた。それはまるで天使の囁きのようで太陽は天使にもなれるのだとティアは訳の分からないことを考え付く。けれどそれよりも内容の方に心が傾いて少し攻め立てるような調子で内心嘆いた。  嘘だ貴女は太陽なのだから太陽に照らされないと路が分からない人間の私と同じはずはないし似ている所もないじゃない。

「失礼ですけど女の子っぽくないですもの。軍人に操縦士じゃ」

 冗談めかして言うノエルを見てどちらかというとノエルの方が女っぽいししっかりしてるし優しいし、あえて自分と比べることはないのではないかとティアは首を傾げたがなんだかおかしくなって「そうかもしれないわね」と頼りなくうっすらと笑った。今できる精一杯の笑顔。

「一つお願いがあるのだけれど」
「なんでしょう」

 しっかりした声で問われティアはそのしっかりした心をどうか自分にもあったらよかったのにと羨望した。昔には少しぐらい持ち合わせていたかもしれないが今となっては皆無。ないものねだりの延長線上に何があるかは分からないがきっとそのどこか横道に小さな輝石が落ちているような気がしてそれは決して悪いことじゃないと思う。だって、人を羨めるほどの寛容さと認めがあるのだもの。それは絶対にいい事。久しぶりの発想の転換がティアにしてみれば大進歩でこれは太陽のノエルのおかげだと胸中で感謝を述べる。

「あの……ホドに寄りたいの。何かが見えてくるかもしれないから」
「いいですよ」

 すぐに機体は大きく傾き北西に向かって飛び出しまた嫌味一つなく即答してくれる彼女にティアは安堵と大きな罪悪感にさいなまれた。
 ごめんなさい。あなたを巻き込んでしまって。
本当は誰も巻き込みたくなどなかった。けれどどんなに買いかぶっても自分ひとりでは何も出来ない小さな小さな人間でしかない。それでも寄り集まってあの集団が出来て最初はあんなにもぎすぎすした居心地いい悪いの問題じゃないくらいの狭間があったのにいつの間にか自然に消えていた。人間なんてそんなものだ。一つ一つは曖昧でも集まれば大きく変わってそれに左右されて自分も自分であれるようになる。この永い過程のどこか一つの小さな中継点でも取り落としていたら今の私は私達はいなかったのだろうか。

「あなたも私たちの仲間よ」

 精一杯ひしひしと感じていた事をティアはノエルに伝えた。その永い時の中で彼女がいなかったら私達は私達でなかったかもしれない。
 操縦席に陣取る少女は一度大きく眼を見開いてから、いつもの三割り増しの笑顔でありがとございますと呟く。それはまるで太陽そのもので、ティアはそれにずるいなあと感じる前に自分もそれくらいの暖かな笑顔ができるようになりたいと思った。いつの間にか段々物事を考えられるようになったことにティアは気づくこともなかったが、少しだけ心は暖かくなったかなと一人小さく肩をすくめる。ホドへ着くまで、まだ時間は有り余っていた。





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[2012/08/25 - 再録]