彼にありがとう、全てにありがとう。
 融けてしまう想いを漏らさず救ってくれて。頬を伝う涙を私の涙だと教えてくれて。




 赤毛の青年が苦笑交じりに皆からどつかれる光景が二年位前の記憶を呼び覚まし、あのころとはずいぶん違って穏やかな気持ちだなあとティアは他人事のような感覚で遠目に眺めていた。先程一人で彼と再会の挨拶をしてしまったから皆にも平等にそうしないと後で怒られたりそそのかされたりするのは両方だ。それはルークにも迷惑がかかるしなんだかティア自身余計な事を勢いで言いそうで怖い。

「じゃあお先にっ」
「え?」

 ひとしきり適当な挨拶を交わしてからそんなあたかも置いてきぼりにされる事を予見されてティアは高い声で反応した。その声にルークがびくりと肩を揺らしよく分からないながらも二人して顔を見合わせる。誰が置いていかれるのだろう。

「ゆっくりお話してから二人で降りてきてくださいな」

 明らかにティアとルークを視線で示されティアは更に頭をこんがらがせた。あえて自分達を残す理由があるのだろうか。時々仲間達の取る行動の意味を取り損ねることがあったが今回もその口らしい。別に皆がいるところで話せばいいではないか。なのにルークは得心したらしくありがとうとなにやら礼をいっている。ますます訳が分からない。この頃そんなことが多々あってもう慣れてきたと思っている自分にティアは眼を見開きすぐ叱咤を与える。どうせなら違うことに慣れなさい。

「ちゃんと守るんだぞー」

 爽やかな笑顔でそんな事を言われ護られる側になると思われるティアは困惑に続けて首を傾げる。一緒に帰ればそんな手間はないのに。夜の渓谷は危険だって言っていたジェイドはそのままごゆっくりーと含みのある笑顔で手を振っていた。失礼ながらに似合わないと感じティアは結局振り返せずに凝視する。

「そうだよっ、ティアずっとルークの事待ってて、待ち過ぎて引きこもり未遂だったんだから!」
「うえ、そうなのか!? ごめんなっ」

 ばらさなくてもいい事をばらされただけではなくいきなり振り返られティアはどもりながら別にとだけ述べた。先程の真正面で泣き顔を見られた恥ずかしさが尾を引いて眼をあわせられないとなるとバカらしい。
 うろたえるルークに皆苦笑や冷やかしを飛ばして愉快で奇妙な仲間達は本当に降りていってしまった。もはや成り行きでいいやとティアは投げやりになってくる。その投げやりになることにさえ投げやりになってきて自分がどれだけ投げやりなのか分からないぐらい適当だった。そんな事を思っている自分でも頭をひねる事を考えているのかと苦笑する。それが本当に苦笑なのかは自分では分からなかったが。

「おかえりなさい」
「ただいま、遅くなってごめん」

 罰の悪そうな顔をしてルークは後頭部を掻いた。前からの癖で彼は本当に彼なんだと実感する。当然のことなのだがその当然が本当にそう思っていいのか悩むことと同じように夢でも見ているのではないかと軽く不安になったりもしていた。

「いいわよ、帰って来てくれたじゃない」

 それきりティアからは何もいえなくなり話すことがなさ過ぎて本気で困った。アニスに指摘されたとおり引きこもり未遂どころかばっちり引きこもっていたから世の中の情勢など知らないし特に進展のある生活をしていたわけでもない。だから皆でいたほうが良かったというのに。ただ気恥ずかしいだけな空気がたらたらと流れるだけでティアには心臓に悪いものでしかなかった。

「あのさ、あのときの」
「あの時?」
「あー、ホドで別れるとき、そうそう日記を渡す前」

 ティアの腕に包まれた日記を目に留め「持っててくれたんだ」と綺麗に微笑まれティアは困惑した。自分はもう昔のように昔のような硬い笑みさえも出来なくなっている。表情を忘れたピエロのように役に立たない成り下がり。上手く笑い返すことが出来ずただ曖昧な表情を浮かべる。

「ってその、あの言葉っ」
「……あっ」

 日記の前にあった事をゆっくり思い出すうちに恥ずかしいこと極まりない事を囁いたのを思い出した。なんだか軽く失態をしてしまったような気がしてティアは頭を抱え込む。何であんな事を言ってしまったんだ私は。

「あの時返事しなかったのはさ、帰ってきてから言いたかったんだ」

 耳貸してとすでに耳元に手を伸ばして髪を後ろにどかすのをティアはただ固まりながらなれない事態にちょっと逃げ腰になる気持ちだった。本当にティアが思っている表情を顔が表しているのかは分からないが心はそんな感じ。

「――」

 耳元で囁かれた言葉は以前自分が囁いた言葉とひどく似ていてついまた涙を零してしまった。遅くもきっとあの仲間達の含み笑いの意味を理解しティアははめられたと思いつつも少しだけ気遣いに嬉しくなる。そのまま抱きしめられつつもぞもぞと控えめに手を動かして涙を拭く。ぼやけていた視界がはっきりとなって見えた世界は、空も風も天と地の小さな光も何もかもがあのころと同じで、まるで世界ごとティアの望んだ世界に戻ったようだった。





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[2012/08/25 - 再録]